法華寺とは

創建由来

創建当初から、(天平時代から)千二百五十年以上続くお寺です。

光明皇后様は、藤原不比等(ふじわらのふひと)公没後、不比等公の屋敷を皇后宮とし、その後、総国分尼寺 法華滅罪之寺とされました。その後、略称として法華寺と呼ばれるようになります。

東大寺が総国分寺、法華寺が総国分尼寺となされ、『続日本記』には、光明皇后様の勧めによると記されています。

御本尊

本尊様は、国宝の十一面観音様です。光明皇后様が蓮池を歩かれた姿を写したと言い伝えられています。

蓮の花と葉を交互にされた光背や、右足の少し浮いた遊び足は、他の仏様には、あまり見られない、特徴にあげられています。

光明皇后様

光明皇后様は、藤原不比等公の三女で、皇族以外からの、初めての皇后様です。正倉院御物の楽毅論(がっきろん)には、自ら『藤三娘(とうさんじょう)』と記されています。

正倉院の献物も大部分が光明皇后様によるものです。

光明皇后様は、社会福祉の先駆者としても有名なお方で、施薬院(せやくいん) 悲田院(ひでいん)などを設置

施薬院は、今の病院に当たり、悲田院は、貧窮者や孤児のための施設に当たります。

また、浴室(からふろ)を寺内に建立され、千人の衆生の垢を流されたというお話は、有名な伝説です。

お守り犬

寺伝にて法華寺に伝わるお守り犬も、光明皇后様のお考えのもので、今も寺伝どうりに、尼僧の手作りで受け継がれています。

(お守り犬は、手作りのため、お寺に確認の予約をお願いいたします。)

名前について

法華寺は、法華寺門跡(ほっけじもんぜき)とも呼ばれ、その由来は、皇族の方や公家の方たちの入寺されたお寺を 『門跡』と呼ぶことに始まります。

法華寺は創建当時ではありますが、実際に光明皇后様が皇后宮としてお住まいになられ、その後、「総国分尼寺 法華滅罪之寺」とされた後も、お住まいとされていましたので、法華寺御所とも呼ばれていました。

法華寺慶久庵あたりは、地下遺構に皇后宮の跡が発掘されています。(現在は、埋め戻されています。)